岡山城周辺ウォーキング【番外編】
10月上旬の平日、秋晴れの昼過ぎ
駅ビルのガラス窓にビックカメラが反射してよく映える。
本日の目的地はここでは無かったが、別件を済ませた後の帰路に岡山を経由することになったので、途中下車した。
岡山駅周辺は当然市街化しているわけだが、岡山には城がある。
大都会の中にポツンと存在する異質な自然にはなかなか興味をそそられるため、早速足を運ぶことにした。
岡山上の最寄り駅、「城下」電停へは市電で3駅、100円。
前回からなぜか城ばかり取り上げているようにも感じたが、それほどまでに日本には城が多いということだろう。
それでも明治期以降取り壊されたり、戦争で被災したものも多く、現在まで原型をとどめるものは少ない。
電停からの地下道を上ると、早速旭川沿いに広場があった。
川の向こう岸にある森は、日本三名園の一つ「後楽園」。
対岸のビル群と自然の対比が美しい。
城の周囲には通常、人工の濠が掘られることが多いが、この城と後楽園とを隔てるのは紛れもなく一級河川「旭川」である。
これは、岡山城の東側の守りを固めるために、自然の河川を使えるようにわざわざ流路変更をした結果とのこと。
石垣の下にあった看板によると、岡山城は別称「烏城」(うじょう)と呼ばれるそう。
なんでも、天守の黒色をした壁から来ているらしい。
姫路城の雅称「白鷺城」(しらさぎじょう・はくろじょう)が、その色の白さから来ていることを考えると、岡山城とはおよそ対照的である。
石垣を間近で撮ると、やっぱり迫力がある。
ただこの石垣、どうやら築城当時のものではなさそうだ。
こんなに石を綺麗に切りそろえるのは多分後世の技術だろう。
古い石垣はもっといびつな石を積み上げていて、すき間を小石で埋めているイメージがある。
城内は平日の真っ昼間だというのに、すでに数組の先客がいた。
シニアの世代が大半だが、一組外国人と思しき方々もおられた。
一人客はさすがに自分のみのようだったが。
ガラガラとは言えないが、みな一様にマスクを付け、特に騒がしくもせずに城を眺めていた。
こういう光景はやはり安心する。観光地はみなこうあって然るべし、と切に願った。
(Wikipediaより引用、昭和9年、パブリックドメイン)
前述、日本の城は戦争で被災したりしたため、原型をとどめるものは少ないと書いたが、ご多分に漏れず岡山城もその一つ。
上の写真は昭和9年の岡山城だが、これから11年後の昭和20年6月の岡山空襲にて焼失してしまった。
現在の天守は、昭和40年代に鉄筋コンクリートで再建されたものだ。
したがって、厳密には「岡山城跡」というのが正しいんだとか。
天守内部にも入ることはできたが、ここから先の入場は有料らしく断念。
無料コンテンツのみで我慢することとした。
結局1時間弱ほど散策したが、これ以上遅くなると帰宅ラッシュに直撃する恐れがあったためここで終了。
後楽園には行かずにそのまま帰路についた。