赤穂はいいぞ!~赤穂城跡・赤穂御崎~【前編】
残暑厳しき8月下旬、
瓦屋根が立派な駅舎。
京阪神の人間にとっては、新快速の行き先としても有名な当地。
(何年か前に、日中の新快速播州赤穂行きは姫路でブツ切りになって廃止されてしまったが)
そういえば「赤穂」(あこう)って難読地名なのだが、大体の人が読めるのはひとえに忠臣蔵のおかげとも言えるのだろうか。
古くは赤穂藩であり、製塩によって栄えた。赤穂の塩というのもまた、限りなく有名である。
道路のど真ん中に噴水?
近付いてみると・・・
赤穂一帯が塩田であり、塩づくりが盛んであったことは周知の通り。
だが、塩田であるが故に、当地に井戸を掘っても塩水しか出ないのであった。
そこで、全国でも早期にあたる江戸時代初期(17世紀)中に、清流「千種川」から水を引いてきて、各戸給水型の最先端の上水道を完成させたのである。
飲めそう(錯乱)
もちろん、未処理の河川水だが。
千種川の少し上流から数kmに渡って地中に埋設された水道管を通って、こことの高低差によって噴き出している。
少し読みにくいが、元和2(1616)年から、現在の上水道が完成した昭和19(1944)年まで、328年間現役であったとのことで、歴史の長さが窺える。
さて、この上水道は市街地を通ったあと、赤穂城まで引かれていた。
赤穂城に隣接して大石神社というお宮があった。
参拝をする代わり、こちらに暫く駐車させていただく。
入口にはなぜか大量の石像が並べられている。
赤穂藩の功労者か誰かだろうか。夜に来たら絶対に怖そうである。
平日の真っ昼間と言うのに、先客が数人いた。
悪疫退散というから、昨今の情勢には丁度よい。
無事参拝を済ませ、赤穂城跡方面へと歩みを進める。
工事中とあり、えらく殺風景な周辺だが、柵の向こう側にはかすかに石垣と城郭が見える。
後編
赤穂はいいぞ!~赤穂城跡・赤穂御崎~【後編】 - 社会不適合者の鑑~徒然なる旅路~
へ続く